この記事はゲーム制作者が自由な記事を作るアドベントカレンダー2021年に寄稿する記事です。
12/25、オオトリですね。
https://adventar.org/calendars/6783
20年前のブラウザゲームとの出会い
2001年、私が小学五年生のころ、我が家にインターネットが接続された共用のPCが設置された。
私の小学校ではパソコンに触れる授業があったため、インターネットの使い方は心得ていた。
早速興味のあるワードを検索しよう。さて、何と書いて検索しようか・・・。
当時、性の目覚めを感じていた私は意気揚々と「コスプレ」と検索した。可愛いコスプレイヤーの画像がたくさん表示されているサイトを見ていたら、親に見つかってめちゃくちゃ怒られた。こういう性の失敗談は今でも記憶に焼き付いている。
そんな私が小学生だったころの2001年の話から、2021年現代までに印象に残ったブラウザゲームの思い出話をしていきたい。
ちなみに私がゲーム制作・Web公開をはじめたのが2010年である。そのころからは自分の製作したゲームの話もしていく。
当時の記憶は結構あいまいで、もしかしたら間違えている点もあるかと思うので、その点はご指摘いただけると幸いです。
面白Flash倉庫とネット文化のはじまり
2001年当時はyahooが検索エンジンとして主流だったので、そこから色々な検索ワードを書いて色々なページに飛んでいた。
当然小学生なので、大好きなワードである「ゲーム」と検索する。すると、面白フラッシュ倉庫というページを見つけた。
面白フラッシュ倉庫とは、2000年代に流行ったリンク登録型のWebサイトである。
面白いと思ったフラッシュのURLを書いて申請すれば管理者が登録してくれる仕組みであり、当時の子供たちはこのサイトから様々な面白Flashやブラウザゲームを遊んでいた。
当時のFlash動画といえば、砂糖水Flashさんが制作した「開国してくださいよぉ~」でおなじみの「ペリーの開国」や某漫画パロディである「オラエモン」が人気だった。
かわいいキャラを筋肉ムキムキにさせたり、真顔にさせると面白いという、今考えてみればユーモアの最初の方にあるようなコンテンツばかりの動画がほとんどであった。それでも当時小学生だった私にはとても新鮮だったので、友達とこのFlash動画を見てゲラゲラと笑っていた。
当時は面白Flash倉庫が流行の発信地だったのだ。たまに悪質なブラクラが混入していることもあったので、危険極まりないサイトだったのだが、そういうアングラさにも惹かれるものがあった。
当時のインターネットは「既存エンタメのパロディ」が主流だった。文化的にも発展途上であったが未成熟だからこそワクワクさせるものがあった。まあ、すべてのコンテンツは模倣から始まるものだと思うのだが。
福田直人のホームページ
そのうちに、Flashゲームというブラウザで遊べるコンテンツがあることを知った。その中で一番記憶に残っているサイトが「福田直人のホームページ」である。
このトップページ、当時インターネットをしていた方は一度は見たことあるのではないだろうか。
当時の福田直人のホームページは今ではあまり聞きなじみがないJavaApplet製のブラウザゲームが多かった。JavaAppletはこのあと脆弱性が発見されてFlashと同じように消えてしまう運命にあるのだが、福田直人のホームページでは一部のゲームはJavaScriptに移植していまだに遊べるようにしていた。
・現在の福田直人のホームページ
http://www.t3.rim.or.jp/~naoto/naoto.html
この福田直人のホームページでは人気アクションゲームのパロディである「スーパー正男」や、どこかで見たことあるようなペット同士を戦わせるアクションゲーム「ペットモン」などが公開されており、これらのゲームに当時の私は「無料でこんな面白いゲーム遊べるなんてすげえ!!!」と歓喜しながら遊んでいた。
特にスーパー正男は大人気だった。このスーパー正男はプログラムをダウンロードすれば自由にステージをエディットできる機能があり、このスーパー正男を用いた改造スーパー正男は色々な投稿プラットフォームや個人サイトで公開されていた。
アクションゲームを手軽に制作でき、それを公開できるという仕組みは当時とても珍しいものであった。今でいうスーパーマリオメーカーの走りのようなことをしていたのだ。
当時私も、ステージエディットしたスーパー正男をどこかの掲示板に公開した記憶がある。そのゲームは、当時はやっていた都市伝説を追体験できる内容だった。
これがなかなか好評で、とてもうれしかった記憶がある。思えば最初のゲーム制作はこのスーパー正男だった。
ちなみにこの福田直人のホームページ、当時は掲示板もなかなか賑わっており、小学生と思われる書き込みが大量にあった。「みんな好きなゲームは何ですか?」とか「こういうゲームを作ろうと思っているからキャラ募集します!皆さんの名前をおしえてください!」など、小学生ならではの幼稚で無邪気なコミュニケーションがそこにあった。
2015年あたりに久しぶりにこの掲示板を覗くと、当時の雰囲気からは一変して同窓会のような書き込みになっていた。「小学生のころにここの掲示板に書き込みしていましたが、今年めでたく社会人になりました。」というコメントが書き込まれるようになり、なかなか感慨深いものがあった。
一つのサイトを長く運営してゲームを公開していくメリットはこの歴史性だと思っている。プレイヤーの思い出の一ページとして永久に刻まれているサイトが今でも残っているというものは、それだけで良いものである。
そのほか印象にのこったゲームサイト
さて、そのほかに2001~2004年あたりによく訪問していたブラウザゲームサイトをここからは列挙していく。
ちなみに2021現在、WWAを除いてほぼすべてのゲームが遊べなくなっている。今ではもう遊べないプログラムであるFlashやJavaApplet、Shockwave製のゲームが当時主流のシステムだったからだ。
・WWA
NAOさんが制作した、シンプルなRPGを制作できるシステム。アイテムをとる順番や敵を倒す順番を考える詰め将棋的なゲームを作ることができる。
このシステムで制作されたゲームは当時たくさんあった。サンプルゲームがとても面白くて、そのサンプルゲームのキャラ画像を差し替えただけのゲームでさえもかなり人気があった。
このゲーム画面、一度は見たことあるはず!
以下のページから現在でも遊ぶことができる。
・シフトアップネット
多くの人の記憶に残っているであろう老舗ブラウザゲームサイト。小学生でも遊べる親しみやすいデザイン。実際に、子供のころ学校のパソコン室で遊んだ方も多いのではいだろうか。
「億万長者ごっこ」というモノポリー風のテーブルゲームから「テンミリオン」というSRPG、シンプルRPGの「ねおきでクエスト」まで幅広いゲームを公開している。
とにかく面白いゲームが多くて、すべてのゲームをクリアするためにやりこんでいた記憶がある。
FlashやJAVA Applet製の当時のゲームは現在遊べなくなっているが、一部のゲームをJavaScriptに移植しているため、まだまだブラウザゲームサイトとして現役である。
・BABARAGEO
当時Flashゲームを勢力的に開発していたレジェンドBABARAさんのサイト。
ゼ〇ダが元ネタのアクションゲーム「ゼノレダ」、敵を倒して剣を太く長く強化するゲーム「太くて長い俺の〇〇」、シンプルなRPGが中毒性となる「FLASH QUEST」などが有名作品。
特にゼノレダや続編のゼノレイダー「プレイヤーが死ぬことがないため、ゲームオーバーにならない」という点が革命的な要素だった。プレイヤーに負けがなくてもゲームは成立することを教えてくれた作品だった。
あと、ゼノレダは特殊な方法でクリアするとエッチなエンディングを見ることができた。たぶんみんな頑張って探したのではないだろうか。いまだにそういうことばっかり覚えている。
上記のゲームは現在ほとんど遊べなくなってしまったが、現在もJavaScriptで動作するゲームを公開している。
・SKT
現在もブラウザゲーム・アプリゲームなどでご活躍されているタカヒロウさんのサイト。
当時は、物理演算を用いて引っ越し用の荷物を無理やり家に入れる「引っ越し奉行」や、家の中を這うゴキブリを操作する「GOKIDASH」、凝ったFPSシューティングである「信行軍団」など、切り口が斬新なゲームが多かった。
ちなみに引っ越し奉行は今でも遊べるので、ぜひ遊んでみてほしい。ギャグゲーとして手軽に遊ぶことができるし今遊んでも面白い。
https://game.moai.jp/g/hikkoshibugyo/
・NEKOGAMES
二つのボタンのどちらが正解であるかをエフェクトやビジュアルから選ぶゲーム「どっち」や、画面の中にある星を探す「星探」、「ざなねこ」「ねこつな」などの可愛い子猫のミニゲーム集など、とにかくたくさんのブラウザゲームを開発されているNEKOGAMESさんのサイト。
現在も活動されていて、シンプルでとっつきやすく、かつ美しいデザインのゲームを公開している。
・おぎわら遊技場
面白い記事を毎日投稿している「デイリーポータルZ」の1コーナー。2002年から2021年現在まで隔週でミニゲームを公開している。火星に人工衛星を落とす「逆マーズアタック」や、実はホラーゲームという「クレイジーピエロ」など、手軽に遊べてネタのコンセプトがしっかりしているゲームが魅力。
特に「クレイジーピエロ」が教えてくれた「ゲームに隠されたホラー要素はワクワクさせる」という発見は、私のホラーゲーム制作に大きな影響を及ぼした。
https://dailyportalz.jp/backnumber/ogiwara
もともとはFlash製ゲームを公開していたが、2016年からはJavaScript製のゲームに移行している。
学校や友達の家にあったPCでよく遊んでいた。2011年以降に一時期お休みされていたようであるが、それでも現在もゲームを投稿しているその創作意欲には尊敬しかない。
2020年にFlashサポート終了直前の振り返り記事を書いていたので、ぜひご一読されたい。
https://dailyportalz.jp/kiji/flash-eof-ogiwara-yugijo
ネット文化の発展と新ジャンルゲームの誕生
ここからは、私が中学生~大学生のころの話をしていく。
ネット界隈では、2001年くらいから存在していた2chのまとめサイトが隆盛を誇っていた時期である。2chの洒落怖スレに投稿されていた話が中心にあったように思う。気が付いたら見知らぬ駅に連れていかれてしまう話である「きさらぎ駅」(2004年)や、ある村に伝わる悪霊に魅入られてしまう話である「八尺様」(2008年)に当時私はビビりながらもワクワクして読んでいた。
また、オカルト以外にも2chでリアルタイムに語られていくタイプの体験談が大人気であった。とあるオンラインRPGで知り合ったメンヘラ女性から執拗にストーキングされる話「S県月宮」(2002年)、独身男性板住人が力を合わせて非モテ男の恋愛を成就させる話「電車男」(2004年)、先祖が記した人を食べる方法が記された書物を発見してしまう「俺の先祖は恐ろしい人物かも知れない・・・」(2006年)など、常に新しいコンテンツがリアルタイムに発信されていた2chこそが当時文化の中心だったといってもいい。
そんな2chのまとめ記事の中で、文字を用いてイラストを表示するアスキーアートという表現方法を用いた物語スレが1ジャンルとして定着していた。
そんなアスキーアートのあるスレッドを題材としたある有名なゲームが2007年に公開される。
理不尽死にゲーの元祖「人生オワタの大冒険」
それが、キングさんが制作した「人生オワタの大冒険」である。
一見すると通常のアクションゲームである本作、「球を発射すると看板で跳ね返ってきて死ぬ」、「針をジャンプしたら針が迫って死ぬ」などの理不尽要素が盛りだくさんであり、その理不尽っぷりが面白いと大評判になった。
ゲーム内のトラップに引っかかるさまはとてもみていて面白いものであり、この「いかに面白い即死トラップを設置するか」に着目した「死にゲー」というジャンルがここから認知されて定着していくことになる。
ちなみに同じく2007年にちくさん制作の「しょぼんのアクション」も作られている。そう考えると2007年は死にゲー隆盛の年なのかもしれない。
ちなみに人生オワタの大冒険に感化されたアメリカのプログラマーkayinさんが制作し、2008年に公開したアクションゲームが「I wanna be the guy」である。
https://dic.nicovideo.jp/a/i%20wanna%20be%20the%20guy
人生オワタの大冒険は、ある時期からステージ更新が滞ってしまうのだが、のちにこの「I wanna be the guy」を元にしてさらに人生オワタの大冒険が発展していった。国境を越えたゲーム制作の進歩がそこにあったのだと思う。
そして2020年、Flashが使えなくなる年の年末に「人生オワタの大冒険2」をリリースしたことは記憶に新しい。Flashゲームを代表するようなゲームであった。
脱出ゲームというジャンルの誕生
また、時代はさかのぼるが、死にゲー以外にももう一つ新しいゲームのジャンルが2004年に生まれていた。
高木敏光さんが制作した「CRIMSON ROOM」である。
https://getnews.jp/archives/123144
壁面が赤色で覆われたホラーチックな雰囲気の中、部屋を脱出するためにタンスや引き出しをクリック操作で調べていくゲームである。
このゲームが公開された当時、とても衝撃を受けた記憶がある。「閉じ込められた場所からの脱出」というテーマ自体が普遍的に人が快感だと思う欲求であるし、それがシンプルな操作で遊べるのだ。
もちろん昔から脱出することを目的としたゲームは存在した。だがそれは、数多のコマンドから正解の動作を選択したり、キーボードで動作の単語を推測しながら打っていくという、カジュアルに遊ぶには面倒でとっつきにくい問題点があった。
CRIMSON ROOMはクリック動作だけで遊ぶことができる新しいゲーム性を提供したことで爆発的な人気作となった。
ちなみにこの一年前の2003年、2chの人気アスキーアートであるモナーを部屋から脱出させる「誰か助けてモナー」というゲームが公開されていた。このゲームもクリック動作だけで遊べる楽しい脱出ゲームなので、「CRIMSON ROOM」がクリック操作で遊べる最初の脱出ゲームという訳ではないようである。
このような「クリックで遊べる脱出ゲーム」が認知されたことで、脱出ゲームはいまや一大ゲームジャンルとなっている。
タッチ操作が主流であるスマホと相性がよい点が現在でも人気の理由の一つである。マーケティング的にも脱出ゲームを公開すれば、それだけ一定の客層を見込めることがわかっているので、結構手堅いジャンルとしてゲーム制作者の中でも人気がある。[私的な見解です!ソースなし!]
さて、この脱出ゲームをリアルに遊んでみたい!と思った方も当時多かったのではないか。その欲求を叶えるため、株式会社SCRAPをはじめとしたイベント企業が実際に部屋の中から脱出するための謎解きゲームイベントを企画する。
これが「リアル脱出ゲーム」のはじまりである。謎解きイベントの興行というと結構マネタイズが難しそうであるが、2021年現在でもリアル脱出ゲームイベントは全国各地で開催されているので、うまく成功したのだろう。私もよく遊んでいる。楽しいし。
https://ja.wikipedia.org/wiki/SCRAP
「人狼系ゲーム」のはじまり
参加者の中から夜な夜な人を食べる人狼を探す推理ゲーム「汝は人狼なりや?」は、アメリカのLooney Labs.が2001年に発売したパーティーゲームである。
2021年現在、多くの日本人は配信を見たり実際に参加したことがあると思うのだが、日本で人気になったきっかけはCGIゲームであったと私は思っている。
CGIゲームとは、「リアルタイム性がなく、データベースにデータを保存することで複数プレイヤーと協力したり勝負したりできるオンラインゲーム」のことである。サーバーにプログラムが置いてあって、プレイヤーはそこに指定された時間ごとにアクセスして、戦闘や育成などのゲームアクションをこなしていく。指定時間は1時間に一回とかなり長かった記憶がある。これは、当時このCGIを置いていたサーバーに貧弱なものが多かったからだろう。
当時はDQM風のモンスター配合ゲームやFF風のプレイヤー育成ゲーム、バトロワ風のサバイバルゲームなどがCGIゲームで遊ぶことができた。
そんなCGIゲームの中の一つに「汝は人狼なりや?」を遊ぶことができるゲームがあったのだ。私がこのゲームにハマったのは中学3年~高校1年のころ(2006年)だった。
相手のウソを見抜くというゲームシステムは、当時の私にはすごく斬新で面白そうにみえた。また、「人のウソを暴いたらかっこいい」という美的感覚が中二病の脳みそに見事にヒットしたのだ。当時は狂ったように遊んでいた。
この人狼ゲームはのちに、これをテーマとした小説が発売されたり、テレビで人狼ゲームが放映されたりと徐々にブームになっていく。
また、この人狼ゲームを元としたゲームも現在では多数発売されている。
たとえば、敵対者が誰かわからない中、みんなが協力して雪山から脱出する雪山人狼ゲーム「ProjectWinter」や
https://www.famitsu.com/news/201908/12181368.html
殺人鬼がいる中、宇宙船を修理することが目的の宇宙系人狼ゲーム「Among Us」である。
https://topics.nintendo.co.jp/article/6ab959d5-665a-45f0-84d0-5c8e2a8c6465
2021年現在「嘘を見抜く心理戦」が見世物としても十分に面白いことが認知されたためか、この人狼系ゲームをyoutuberが遊んでいる動画がたくさん見つかる。人狼系というジャンルもすっかり定着しているようだ。
その他この時期面白かったブラウザゲーム
ちなみに、この時期にハマったブラウザゲームをこれからいくつか紹介していく。
・激突要塞
2008年にすずぬーとさんが制作したシミュレーションゲーム。限られたコストからユニットを配置して自分だけの要塞を作り出す。このゲームは当時ものすごくヒットして、多くの人がプレイしていた。
自分の作った要塞を他プレイヤーの要塞と戦わせることができるのもヒットした要因だと思う。
すずぬーとさんの作品ではほかにも、都道府県で国盗り合戦を行う戦略シミュレーションゲーム「都道府県対戦」も戦略的で面白く、大きなヒット作となった。
・GROWシリーズ
EYEZMASEさん制作の一連のパズルゲーム。指定されたアイテムを順番を考えて設置して、世界を作ったり魔王を倒していく試行錯誤を楽しむゲーム。
当時はFlashゲームだった記憶があるが、現在ではスマホゲーム化・JavaScript移植して遊べるようになっている。
遊んだことがない方は以下リンクから実際に遊んでみることをお勧めする。アイテムを設置する順番によっては、多種多様な展開が繰り広げられるため、楽しく試行錯誤を楽しむことができる。
GROWプラネット
https://www.eyezmaze.com/jp/sp/2002/02/growPlanet.html
展開の多種多様さにとても手間をかけている作品なので、このゲームを作れるのはEYSZMASEさんだけなのではないかと思っている。それほどに手が込んでいて面白い。
・Desktop Tower Defence
タワーディフェンス系ゲームの金字塔。限られた資金を用いてユニットを設置して、迫りくる敵を倒していく戦略ゲーム。
当時はFlashゲームで遊ぶことができた。当時は寝食を忘れてこのゲームに何時間も没頭する人が続出した。タワーディフェンスゲームの面白いところが全て詰まっていたゲームだった。
・Eight Defender’s
Libragamesさん制作のタワーディフェンスとRPGの成長要素を組み合わせたゲーム。3種類のユニットを設置して敵を迎え撃つ。レベルアップにより上位の職業にクラスチェンジできるシステムがとてもワクワク要素で楽しかった。
このゲームも私は寝食を忘れて熱中した。大学の部室で狂ったように遊んだのも良い思い出である。
2021年現在、steamにて大規模アップデート版が遊べるので興味のある方はぜひ遊んでみよう。
https://store.steampowered.com/app/1393380/Reverse_Defenders/?l=japanese
プラットフォームの多様化とFlashゲームの衰退
前の章ではネット文化の中心は2chだったと言っていたが、時代と共にネットの文化はどんどん多様化していった。 youtubeが2005年にはじまり、そこにコメント機能を加える形で登場したニコニコ動画が2006年年末にリリースしたことで、それぞれのプラットフォームに独自の文化が構築されていった。
最初のころのニコニコ動画はみんなが使い方を試行錯誤していた。私が最初にニコニコ動画でFF7のラスボスであるセフィロス討伐動画をみたときには、普通のチャットサービスと勘違いした方が「たけし~このコメントみえる?」などと動画とは無関係のコミュニケーションを行っていた。
文明開化した明治時代に郵便ポストを小便をするところと勘違いした人がいたエピソードと同じものを感じる。ともかく新しいコミュニケーションツールのはじまりにある試行錯誤の過程は、今思い返すととても微笑ましいものがあった。
動画による知識の共有はすさまじいスピードで進んでいった。そのエピソードとしてニコニコ動画黎明期の話をする。はじめてドラクエ4のラスボスであるデスピサロ討伐動画が公開されたとき、そのラスボスのビジュアルが登場した後「なにこれ、エスタークじゃん!」というコメントが大量に流れていたのだ。当時、ドラゴンクエストよりもその外伝であるドラゴンクエストモンスターズの方が認知度が高かったことがわかるエピソードである。
SNS文化も発展していった。昔は友達の紹介でしか入会できない会員制SNSのmixi(2004年)や気軽に登録できる前略プロフィール(2004年)SNSの主流だったと記憶しているが、2009年くらいからtwitterが日本で流行り始め、徐々にそちらに軸足が移っていった記憶がある。
ガラケー文化が衰退してスマホが流行ったことで、ネット大好きなオタクコミュニティだけではなく、そういう世界とは無縁の人でもスマホを通して気軽にインターネットを楽しむようになったことも、文化の多様性に貢献していたのかもしれない。
さて、ブラウザゲーム界隈はというと、徐々にFlashの衰退が噂されるようになる。
Flashはもともと、容量の大きい動画の代わりに軽量で動作する動画ツールとして流行ったものであった。それが光通信により通信速度が飛躍的に向上したことでそのメリットも少しずつ失われ始めたのだ。
また、2007年にAppleがFlashの使用を許可しなかったことも大きい。そのあとgoogleもFlashゲームの表示を許可制に変更し始めた。これにより徐々にFlashを用いたコンテンツは減っていった。
まあ、Flashゲームが減っていったのはもう少し後の2013年あたりからだったと思う。それでも使い続ける人はいたが、最終的に2020年にFlashは公式サポートを終了し、すべてのブラウザでFlashゲームを遊ぶことはできなくなった。
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1708/24/news018.html
ちなみに、JavaAppletやShockWaveも同様にブラウザに標準搭載されなくなっていき、衰退をみせることになる。
つまり、2000年代に主流だったソフトウェアがほとんど使えなくなってしまったのだ。これによって、ブラウザゲームという概念自体が徐々に衰退していくことになる。
ちなみにそのあとブラウザゲームの主流となった言語がJavaScriptである。だが、このJavaScriptはもともと嫌われ者の言語であり、ブラウザゲーム制作の主流となるためには少々時間がかかってしまった。
ここからは、少し難しい話が続くので、プログラムとかわかんね!という方は次の章「 2010年、作っちゃうおじさんゲーム制作を開始 」まで飛ばすことをお勧めする。
要約すると「規格というものが定まってようやくJavaScriptという言語でゲームがまともに作れるようになったよ!」という話である。
JavaScriptはWebサイト上でプログラムを起動させるときに使う言語であり、2000年ごろにも存在していた。ただ、このJavaScriptは2000年ごろはブラウザによって言語処理の実装がまちまちであり、ブラウザの種別を確認して条件分岐でブラウザごとの処理を書かなくてはいけない、とても面倒な言語だった。「Internet Explorerでは動くけどFireFoxでは動かない!」ということが結構あったのだ。
また、言語としても、変数宣言せずに変数使用可能なので変数名ミスっても気が付きにくいとか、varの挙動が変数の巻き上げにより意味不明な挙動をすることがあるとか、とにかく間違ったコードを書いてもそのバグに気が付きにくい仕様だったため、大変評判が悪かったのだ。
特に当時主流のブラウザだったInternet Explorerが、JavaScript本来の機能に独自の仕様を勝手に追加したりしていたり、逆に一部仕様を実装しなかったりしたので、この言語に嫌悪感を持っていた方は多かった記憶がある。そのため、JavaScriptでゲームを作る人は2000年代当時はほとんどいなかった。
さすがにそれじゃあまずいだろうということで、W3Cという標準化団体が「HTML5」という規格を策定して、いろんなブラウザにこの規格に準拠するようにした。また、WebページはHTMLという言語によってデザインを作るのだが、そこにCanvasという「画面描画用のDOMパーツ」が追加されたため、このCanvasを用いたゲーム描画ができるようになった。
とはいえ、2010年当時はまだまだJavaScriptはゲーム制作の主流な言語ではなかった。私が2009年にソフトウェアプログラマーのアルバイト面接を受けたのだが、その時にJavaScriptで制作したゲームをみた面接官が「JavaScriptでゲームを作るの?なんで?」と驚いていた。それほどまでにJavaScriptを用いたゲーム制作は一般的ではなかったのだ。
ちなみにその面接は落ちた。私は代わりに倉庫の棚卸のバイトをすることになる。
ともかく、規格を定めたことでようやく各ブラウザは足並みがそろったのだ。どのブラウザでもJavaScriptのプログラムを同じように実行してくれるようになったことで、2013年あたりから徐々にJavaScript製のブラウザゲームが数を増やしてきた。ちなみに2013年という数字は私の完全な主観である。
ただ、本格的にJavaScriptの言語仕様がまともになったのは2015年にES6という規格が制定されてからである。このES6が制定されたことにより、バグ発見をしやすい言語仕様に改定されて、JavaScriptの人気が急上昇、今では2021年人気言語ランキング7位にまで上り詰めている。
ちなみに当時Flashゲームに代わる言葉として、HTML5ゲームなんて言葉が生まれていた。まあ、当時FlashとHTML5ゲームの区別がつかなかった人が大半だったので、ブラウザゲームすべてひっくるめてFlashゲームと呼んでいた方が多かった記憶がある。
ちなみにこのHTML5という規格も実は2021年に廃止されている。現在はWHATWGという団体が定めた「HTML Living Standard」という規格にブラウザは従うことになっている。まあ、この変化で今までのWebページが急にみられなくなることもないので、大多数の人は気にする必要もないのだけれど。
ちなみに略してHTMLLSと呼ぶ。Living Standardと銘打っているので今後はスピーディに順次規格がアップデートされていくことでしょう。
2021年現在、さすがにブラウザゲームのことをHTMLLSゲームと呼んでいる人はいないようである。まあ、この世界のテレビゲームをすべて「ファミコン」と呼ぶお母さんがいるように、すべてのブラウザゲームのことを「Flashゲーム」と呼び続ける人が今後も一定数存在しつづけるのではないかと推察する。
2010年、作っちゃうおじさんゲーム制作を開始
2010年、当時大学二年生だった私はこの時期にはじめて制作したゲームをWeb公開することになった。
今まではプレイヤーとしての話だったが、ここからはゲーム制作者として経験したブラウザゲームの話になる。
上記では「Flashゲームは衰退し始めている」と書いていたが、当時の私はそんなこと理解していなかったので、当然のようにFlashゲームを制作することにした。
Flashゲームを制作するとき、普通はAdobe Flash Builderを使用することが一般的なのだが、学生でお金がなかったので、代わりにParafla!という無料のFlash作成ツールを利用してゲーム制作していた。
そうして制作したゲームがPuzzle RPGである。これが当時めちゃくちゃバズったのだ。
http://www.kotaro269.com/archives/51108995.html
今振り返れば運が良かったともいえるし、こういう経験があるからこそ現在までゲームを制作し続けているのだと思う。人は成功体験を手にしたとき、そうそうやめられなくなるものである。
そして、調子にのった私はどんどん次の作品を作り始めた。
次にバズったゲームはデッキ構築型のRPGである 「カードの不思議なダンジョン」である。当時大学のサークルで「ドミニオン」というデッキ構築ボードゲームが流行っており、そこから着想を得てローグライク要素と合わせたものである。
このゲームはいろんな人から好評をいただいた。ただ、このゲームは当時の稚拙な画力により作られていたため、非常に絵面が汚く、今考えるとあまりお見せできるものではなかったと思っている。
このゲームを2016年にJavaScriptでリメイクしたものが「黄泉からの帰還」である。今見るとこの時のプログラムもまだまだ稚拙で非常に汚いのだが、この時期は本業プログラマではなかったので、趣味と好奇心だけでなんとかゲームを構築していた。
https://hothukurou.com/game/HTMLCard/index.html
ちなみにこのデッキ構築型RPGはこのあと色々な人が開発していくことになる。
私が知る限りではohNassyさんが2015年に開発した「Deck de dungeon」がある。このゲームはめちゃくちゃ面白かった。
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.Nussygame.DeckDeDungeon&hl=ja&gl=US
ただ、このゲームが公開されたとき、私は「ああ、もっとデッキ構築RPGを深堀して新作を作るべきだった!」と後悔したものである。残念ながら学生のころの私は今よりも時間があったにも関わらず、あまりゲームを制作してこなかったのだ。むしろ時間のない社会人になってからの方が多くのゲームを制作している。まったくもって不思議な現象であるが、おそらく社会的に自立したほうがゲーム制作を人生の目的としてとらえることができるからだと思っている。
ちなみに、このデッキ構築型RPGの金字塔は2017年にリリースされた「slay the spire」である。
当時はsteamで発売されていたが、現在ではスマホでも遊べるようになっているのでぜひ遊んでほしい。めちゃくちゃ面白い。
https://store.steampowered.com/app/646570/Slay_the_Spire/?l=japanese
この 「slay the spire」 が発売されたことで、デッキ構築型RPGといえば「slay the spire」となり、これに続いた同じようなシステムのゲームは「slay the spireのようなゲーム」として紹介されるようになった。
やっぱりゲームとしての完成度の高さは重要であるなあとつくづく思う。私も「カードの不思議なダンジョン」開発当時にもう少しこのジャンルを研究していればと思うこともあるが、まあ実際やらなかったので負け犬の遠吠えである。
ちなみに、Flashゲームの開発は2013年あたりに辞めてJavaScriptによるゲーム制作を開始した。
当時、「enchant.js」というゲームライブラリが評判良くて使用していた。そして、そのライブラリの開発元である株式会社UEIがよくゲームコンテストを主催していたので参加していた。
ちなみに「おおぞらコリント」というゲームはそのゲームコンテストで受賞した作品である。聞いた話ではその時審査員をしていたゼビウスの生みの親、遠藤 雅伸さんにも実際に遊んでもらい、楽しんでもらえたということ。嬉しい限りである!
https://hothukurou.com/game/corinth/index.html
たしかその時賞金で10万円をもらった。大学生の10万円は大金である。味を占めた私はそのあとも「月蛇100」や「八十八高校 八十八の漢共」で敢闘賞やら大賞やらもらっていたが、そのうちenchant.jsが下火になり、ライブラリの更新もされなくなってしまったので、2019年ごろからはPixi.Jsという描画ライブラリを利用してゲーム制作をしている。
Pixi.JsはWebGLという、ブラウザで3Dのような複雑な描画をこなすための仕様を用いてCanvasに描画している。
ちなみにUnityで制作したゲームもブラウザゲーム用に出力するとWebGLを操作するコードが出力される。
今後はWebGLを用いたゲームがどんどん増えていくだろう。iOSのSafariなどで、フィルタ機能を使用すると、めちゃくちゃ描画速度が遅くなったりしたり信用できないところはあるのだけれど!
時系列が前後するが、2016年あたりから私はホラーゲーム制作にハマり、たくさんのホラーゲームを制作した。そうしたところ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるということで、2018年に公開した「怖くないホラーゲーム うさぎパズル」がめちゃくちゃヒットすることになる。
まあ、このヒットはその前に制作した「怪奇都市伝説アカズノハコ」というホラーゲームをしっかりと作りこんでいたことが大きい。アカズノハコ単体では、新規ユーザーへの訴求力がないためかそこまでヒットしていなかったのだが、アカズノハコへの導入としてうさぎパズルを作ったところ、そのキャッチーなテーマがバカ受けしたのだ。これは正直飛び道具のような戦い方であり、あまり再現性はない戦法だと思う。
うさぎパズルを制作したあたりで私は新卒入社した大企業からベンチャーのソフトウェアエンジニアへと転職した。友達の紹介での転職だったのでとても居心地がよく、副業OKだったのでこの年からブラウザゲーム制作を本格的に取り組みはじめる。
2018年以降、毎月1本ゲームを制作・公開している。ホラーゲームだったりギャグだったりと多種多様なゲームを制作しているので、一度遊びに来てくれると嬉しい。PCだけではなくスマホでも遊べるという点が私が作るブラウザゲームの売りの一つだ。
デイリーポータルZのおぎわら遊技場のように、長く愛されつつ続けられるようにしたいものである。
ゲーム制作イベントとunityの話
2011年、24時間であほなゲームを作るイベント、あほげーが開始した。
4か月に1回のペースで開催されているイベントである。ここで公開されているゲームを見ると、ブラウザゲーム制作のソフトウェアが徐々にFlashからunityやJavaScriptに移っていったことがわかる。
unityとは、ゲーム制作ツールである。現在ゲーム制作をはじめたい人がいるならば、まずunityから始めるだろうというくらい有名なツールである。
あほげーの過去コンテストを確認したところ、少なくとも第二回あたりからunity製のゲームが公開されていたので、2011年からunityをみんな使い始めたのだろう。
ちなみにないちさんが運営しているunityゲーム公開プラットフォーム「unity room」は2016年リリースだった。unity roomではunity 1 weekというゲーム制作イベントが定期的に開催されており、ブラウザゲームコンテストとしては最大級の規模となっている。実際、ここで公開されている作品の中には、ものすごいクオリティの高い作品が公開されていたりするのだ。今からゲーム制作をはじめるのなら、unityを用いてunity 1 weekに参加し続けるのが良いと思う。
さて、あほげーの話に戻るが、このコンテストで私は2人のクリエイターと出会った。この二人のゲームがものすごく好きで、その時の感覚が今の自分のゲームを作っている気がする。この場を借りて紹介する。
・したっぱさん
1日という作業時間でものすごく遊べるゲームを制作していた超人。Flashゲーム制作者だったので現在ではほとんどのゲームが遊べなくなっているのだが、ミニゲーム集「オレンジの誓い 詰合せ編」や「THE 鉄道旅行ゲーム」など、とにかく面白いゲームが多かった。実際何度も繰り返し遊んでいた。
作風としては、アニメ「ミル〇ィホームズ」やゲーム「ペ〇ソナ4」に登場する好きなキャラクターを自分で描いて登場させるという著作権を完全に無視したストロングスタイルをとっており、「俺の好きはこれなんだ!!!!」という強烈なインパクトをプレイヤーに示していた。(絶対に真似しちゃだめですよ!!!!)
このしたっぱさんのゲームでよく使われていた「メインのゲーム前に一本シンプルなゲームを遊べるようにしてゲームの導入を行う」というシステムはゲームに没入させるためにとてもよいテクニックであり、私も大いに参考にさせてもらっている。勝手にウェルカムゲーム戦法と呼んで自分もめちゃくちゃ多用している。
・goboriさん
独特のサイケな世界観が心地よいゲームを多数制作している方。特徴的なBGMが多く、どうやら作曲も行っているようである。
この人も1日という作業時間でものすごくインパクトのあるゲームを制作していた。
満月が落ちてくるので、爪切りで爪を切って飛ばして月に当てるゲーム「満月vs人類」や不忍池に大量のピラニアを放流して、その中を死刑囚がアヒルボートに乗ってピラニアと戦う「不忍池ピラニア放流デー」が印象的。というかどうやったらそんな面白い設定思いつくのだと驚愕するばかりである。
ちなみにもともとはFlashゲーム制作者だったが、途中からJavaScriptでゲーム制作を開始したため、現在でも遊べるゲームがいくつかある。
そのうちの一つ、「ファッションセンター死魔裏」をぜひ遊んでほしい。このインパクトは忘れられないはずだ。
https://gobori.ehoh.net/flash/fashion/
このインパクトはとても参考にしていて、私もゲーム制作のときには「タイトルだけでプレイヤーに印象を与えられるようにしよう」と心がけていたりする。
クリッカーゲームの元祖の誕生
最後に、2013年に生まれたあるゲームの話をしたい。
「人は、クリックしているだけのゲームでも、十分に楽しむことができる」という認めたくない事実を認めさせてしまうようなゲームが誕生した。
それが、Orteilさんが開発したクッキークリッカーである。
https://natto0wtr.web.fc2.com/CookieClicker/
このゲームは、画面に表示したクッキーをクリックしてクッキーをもらうだけのゲームである。
もらったクッキーで、よりクッキーを生産しやすくするアイテムを買うことができる。つまり、クッキーをもらって、よりクッキーを生産しやすくするという拡大再生産ゲームなのだ。
これがものすごく面白い。実際やってみればわかるが、ただクリックするだけのゲームなのに完全にやめられなくなるのだ。
このクッキークリッカーという発明は「拡大再生産すれば、ただクリックするだけで面白いのだ」という知見を我々にもたらした。もちろんクリックの気持ちよさや遊びやすさがクッキークリッカーは洗練されているのだけれど。
ここから「クリッカー系」というゲームが誕生して、ここから派生したゲームが現在開発され続けている。
おわりに
以上で、速足ではあるが私の主観による2001年から2021年のブラウザゲームの振り返りを終了する。
理不尽かけっこゲーム「QWOP」や木の枝でホームランを打つ剛腕プニキが印象的な「プーさんのホームランダービー」など、まだまだ紹介しなければいけないゲームが多かったのだが、全部書くともっと長文になってしまうのでここまでにする。
ここまで書いて、自分がどのようなゲームに出会って、どのようなゲームを好きと思っていたのかを再確認することができた。創作活動において、「自分の好きはなんなのか」を知ることはとても重要なことである。その好きを他の人に布教するためにゲーム制作を続けているのだ。
これを読んでいるあなたがもしゲーム制作をしたいと思ったのならば、「自分の好きはなんなのか」をしっかり見つめなおしてみるとよい。この好きを表現するために今後一生を使うこのになるのだけれども。
人は生きるため、収入を得るために「社会が良いと思うこと」や「相手が喜ぶこと」をするものである。未成年の子供は学校や親が期待する姿を目指して生きていくだろうし、社会人は社会の役に立って収益をもらって生きていく。ただ、自分の好きを見失ってはいけない。他人が求める姿は自分の求める姿ではない。表面では社会の役に立ちつつ、裏ではしっかりと自分の好きを追求して牙を研いでおいた方がいい。その牙は自分という自我を確立するために大切なものである。そして、創作活動を続ける上でもっとも大切なモチベーションを形作るものでもある。
後半は私の製作したゲームの記事がメインになるが、まあその部分はおまけ程度に見てもらえればよい。Flashと共に衰退したブラウザゲーム文化だが、JavaScriptがまともになり、周辺のエコシステムが確立されて扱いやすくなったことで、また復活しつつある。
ゲームという歴史は、あるゲームを起点として数珠つなぎに発展してきていると思っている。今後もどんどん、過去のゲームに影響されたゲームが登場してくことだと思う。
ところで、文章中で「slay the spire系」とか「人狼系」とか、特定のジャンルを表す用語の成り立ちを書いていたのだが、こういう風にジャンルを定義することのメリットとして「ゲーム紹介の説明を省略することができる」という点がある。
あるゲームを説明するとき、「モンスターがいて、そいつに攻撃できて、倒すと経験値というポイントがもらえて・・・」と長々と説明しても面白さは理解してもらえないが、「RPG」というワードがあればその説明を省略して、新規性のある部分だけを説明すればよくなるのだ。
今後もどんどんジャンルが細分化されていき、あたらしいジャンル名が誕生すると思う。できれば私が作ったゲームも新ジャンルの元祖として命名されたらなと思う毎日である。
最後に作者が月一でブラウザゲームを公開しているブラウザゲームサイトを紹介して、この話を締めたいと思う。