俺は会社を退職した。
滋賀県から離れることになったので、最後にサウナを満喫しつつ、物思いにふける。
新卒3年目だった。新卒の切符は就活最強のカードとはよく言ったものだが、就活生であった頃の自分は夢の実現を諦めることを選び、ド安定の大手メーカーに就職したのであった。
就活生のはなし
大手メーカに就職、周囲からは大成功と言われる結果ではあるが、ここにたどり着くまでには紆余曲折があった。
当初はIT系を中心に就活をしていたが、やりたいことが漠然としていたため、とにかく面接で落ち続けた。働くための決意と覚悟が足りなかったのだろう。
そういえば、これまでこれといって道を踏み外したことがなかった。大学合格までストレート、単位フル単当たり前。周りからはプログラミング好きの変人と思われていたことは間違いないが、これも敷かれたレールの上で変人を気取っていただけの話である。敷かれたレールから思いっきり飛び出すことに恐怖を感じていたのだ。この恐怖が、決意と覚悟を鈍らせたのだろう。
結局、皆が目標とする大企業に滑り込んだ。
変人の個性を捨てて、周りの皆と同じことをすることにした結果である。
大企業で働くための覚悟として、ゲーム制作の趣味を捨てることにした。そして、バカにしていた就活対策をきっちりこなし頭に叩き込んだ。
想定質問に対する完璧な回答を用意した。その会社に合格するために自分の軸をしっかり作り、それを演じた。
その結果、結果内定をいただくことができたのだ。
あれほど悩み苦しんだことがウソみたいである。
その時の気持ちを表したものが以下の作品である。
社会人での話
収入が安定し、友達や彼女がいて、そこそこの仕事をしていれば人は幸せなのか。
いや、未来に幸せになる希望が持てないのなら、人は幸せにはなれないのだ。
なぜこんなことを話すのか。要は、私は仕事がそこまで楽しくならなかったのだ。しかも、自分の経験になることがない。このままでは将来誇れる技術者になることはないと感じていた。
楽しくない仕事をこなすために残りの人生を消費する、しかも技術者として身につくこともない、これほど未来に希望が持てないことはない。自分の仕事に誇りが持てないことも苦しみの一つだった。
デキる上司はみな仕事に誇りを持っていた。そんな人と仕事をしていると、どんどん自分が恥ずかしくなる。自分は将来どうなりたいのか。今の会社でデキる上司のように今の仕事でバリバリ働くようになりたいのか。
なりたくなかったのだ。将来なりたいと思う姿はそこになかったのだ。
と、いうことで封印したゲーム制作を解き放ったのである。
その時に作成したゲームは全部、その時の不満をモチベーションに作っている。
「仕事がいやだ、上司に怒られる・・・etc」
無間地獄は続く・・・。
我ながらふざけているとは思う。毎日頑張ってやりたくもない仕事をしている社会人の皆様は、さぞかし不満げにこの文章を読んでいることだと思う。
「仕事はつらくて当たり前。みんなやってるんだからお前も働け。」
そんな「みんなで不幸になろう理論」に乗っかることをやめた。これでは幸せにならないのだ。
自分が楽しいと思う仕事をしたい。だが、本当に楽しく仕事をするためには、主体性が必要だ。自分で稼ぎ方を学び、ゼロから仕事を作って収益を得るほどの主体性が。そんな稼ぎ方を学ぶため、退職することにしたのだ。
そんな決意をしたとき、はじめて「仕事が嫌いだ問題」にオチをつけることができたのだ。
つまり、このゲームができたのだ。
会社を退職した後、同期と今後のキャリアについて話してみた。そしたら、
「適当に仕事しててお金が入ってくる。こんな楽な世界他にない。今後はいかに楽な仕事を見つけられるかが大事やな。」
「ウチはホワイト企業。大体今のスキルで他に雇ってくれるところなんかないし、転職は考えていない。」
と返ってきた。そのとおりである。
この会社にずっとしがみついていたら、実力はなくともずっと安定した収入と休日で過ごすことができるのだ。この幸せを喉から手が出る程ほしい人はたくさんいるだろう。
幸せの局所解、どちらにいってもリスクがある。
これほど未来に希望が持てない状態はない。だから辞めることにしたのだ。
サウナに入ってから15分が経過した。いつもつるんでいた同期もいない。一人である。
早く上がろうぜと急かされることもない。自分の好きなだけここにいることができる。
ようやく人生のレールを踏み外すことができた。あとは、楽しく仕事をするだけだ。
火照った身体を冷やすため、私はサウナを出て露天スペースに出ることにした。